STAFF 02
姿 信一郎
Shinichiro Sugata
お客さま最優先の提案を
真摯に実践し続けることが
不動産業界で働く我々の使命です
- 2004年
- 芝浦工業大学大学院建設工学専攻修了
- 2004年
- 大手マンションデベロッパーにて販売業務に従事
- 2007年
- 某不動産会社にて不動産流動化事業に従事
- 2009年
- 某不動産会社にて管理職として仕入れ・仲介・販売業務に従事入社
- 2013年
- 不動産コンサルティング会社を設立
- 2018年
- 不動産売却サポートでの活動開始
街づくりNPOで
活動異なる意見の
調整方法を身に付ける
中学・高校時代、私は千葉県の幕張にある学校に通っていました。今でこそ幕張新都心として多数のビルが林立する近未来的な都市となりましたが、90年代当時はちょうど開発の真っ只中。空き地だらけの街に次々と建物が造られ、新しい都市がまさに完成していくプロセスを間近にしながら学生生活を送っていたので、いつの間にか建物に興味を持つようになりました。
大学では建築や都市計画などを専攻し、そのまま大学院の建設工学専攻に進学しました。研究テーマとしていたのは、ハードとしての建物ではなく、街としてのソフトウェア面。研究室の先輩とともに産官民共同の街づくりNPOを立ち上げ、その副理事として都市計画マスタープランの市民版づくりなどに携わっていました。埼玉県の学校だったこともあって、北鴻巣の街づくりを市民団体とともに考えたり、大宮駅北口再開発に関する問題点の洗い出しなどを行い、本格的に未来の街の在り様を探っていました。
自治体や企業、市民によって、街づくりに対する考え方は全く異なります。ときに賛成と反対の真逆の意見がぶつかることもありましたが、その解決策を提示するのが当時の私たちの務め。異なる意見を一つずつ整理しながらワークショップを行い、いかなる街が関係者全員にとって相応しいのか、着地点を見つけていこうとしてきました。
意見の違う人たちの思いを整理して、適切に具現化する――コンサルタントのような立ち居振る舞いを通して、複雑な問題の解決の仕方を身に付けられたのは、その後の社会人人生における貴重な財産となりました。また、当時、20代前半だった私たちが相手をしたのは、はるか上の年配の方々。普段の生活ではなかなか交流できない人たちと接点を持ったことで、自分のコミュニケーションの幅がぐっと広がりました。